哲学

 哲学と名づけると、哲学に関連する人が怒ると思うが、とりあえず企画「InnerTerm」は「哲学」なる項目からはじめることにする。
 哲学とは何か、とは、哲学で根源の問いとされているところのものだ。とにかく西洋の学問は定義しないとはじまらないらしく、分類学は多岐に渡り、ありとあらゆるものを病理的にまで分類しにかかる。ケイオスというのはどうやら、人為的でないが故に、つまり神の手によって法化されていない故にあってはならないものらしい。ま、この辺りは「定義」とでも題をつけて触れるか。(しかし楽だなぁ。文のネタがどんどんできあがるぞ。)
 しかしあれだ。西アマネさんも言ってる通り(いや、実言として言ってるワケじゃないが)哲学ってぇ学問はないのである。philosophyに...logyなんてついてるか? ついてねぇだろ。そもそも学問じゃなくて行為形態なんだっつーの。何か文句ある奴はコメントに書いとけ。logyついてない奴は学問じゃないのかゴルァ、というアホな質問はなしだぞ。また「理性」と「言語」についてネタができたな。ああ楽だ。
 ええい、すぐ横道にそれるな。とにかく、半端な高校の倫理教師がよく言うように、哲学とは学びに対する愛情行為のようなものだと自分は解釈している。(「学び」でネタ確保。)
 停止しないで物事を考えることが哲学の根源であると自分は考える。哲学すなわち形而上学(メタフィジック、道徳とか倫理とか計算や定義づけの連続ではなく、我々の日常感覚に頼るところ多いものとかと思ってもらったらいいんじゃないかな)と考えてる人も多いようだが、これも大学教養部の教官のノートに赤で二重線が引いてあるように、昔の偉い誰かさんが学問の分野を考えた時に、収まりきれなかった分を「物理学以降」という意味で形而上学、と呼んでいるだけなのであしからずと。
 ま、結局、何事についても停止しないで物事を考え続けたら哲学になるわけだね。しかしそれじゃあいかんという御仁も多く、哲学は深淵にして崇高な人類の神秘を解き明かすもので無ければならない、と仰る方もよくおられます。どっかの宗教団体のようだね。
 ものでならなければならない、と考えてるのはあんたらだけです。解き明かしてないのに解き明かすとか予定調和約束するなと。ニュートラルな立場で考えればオカマがケツ掘ってるのもLivedoorのとある課長がバナナばっか食ってブログ書いてるのも全部深淵にして崇高な人類の神秘なので。小難しいこと考えて他人の尊敬を勝ち取りたいとか、自尊心を満足させたい気持ちは分かりますが。
 このあたりから非常に難しい、自分の大好きなケイオスの領域に入っていくわけですが。哲学者が何故小難しいことを言うのか、というのは、まぁちょっとでも哲学のお勉強をしたことのある方は見当のついてることでしょうし、別の機会の回しましょうか。ということで、現行の哲学者及び哲学に関する一般的見解の大半はこれでスルーできるということで。
 結論をつける文章ではないけれど、自分の中で哲学とは動名詞であり「loving thinking」のことなのだとまぁ。学問としての哲学がどんなかちゅうと、「こんな面白いこと思いついたんやけど、どよ」の域を出ないもんじゃないかと。
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