じゃないと思うけど。

 ㌧さんへのコメントで。

 勝ち、とは他を圧倒すること。圧倒は暴力によって行なうことです。暴力とは短絡的な物理的あるいは社会的破壊行為を指すと思ってください。気に食わない場合殴る。あるいは差別する。まぁ普通の行為。これを行なえる立場にいる人物すなわち勝ち。行なえない人物すなわち負け。
 これは相手に自分の意志を通すために行なわれます。全ての交渉はこの暴力を回避するために存在しているといっても良いでしょう。
 ルール、というものが人と人との間の取り決めだとして、これは人が二人集まればそこに成立します。ルールというのは人の集団の内部で締結される取り決めで、これは主に暴力を回避するために取り決められます。
 ルールを守らない人物、守れない人物というのは、この取り決めの意味が理解できないか、暴力を受け入れることを甘んじている人のことだと思われます。ちなみに、哲学科の人間の大半はこの「ルールが理解できない人物」のことです。
 例えば、例に挙がっているフーコーは、同性愛者でした。同性愛者というのは、異性愛という「取り決め」によって成立してきた社会を破壊する可能性があるルール破りであるため、暴力を受けます。フーコーはこのルールが理解できなかった(というより納得できなかった)のでしょう。この仕組を出発点にして彼の「狂気の歴史」は紡がれたのだと自分的に考えています。
 暴力を回避するシステムの中で暴力を発揮するためには、システムの間隙を潜り抜けるタイミングの良さもしくは洞察力あるいはルールに対する知識やカンが必要とされます。通常言う「勝てる/負ける」立場はここから発生するのではないかと推測。ルールに対する考察を放棄した瞬間に確かに負けは確定します。
 ただ、負けを負けに終わらせないのが偉人で、例えばフーコーはそんな人。
 ちなみに、「勝ち負け」は倫理あるいは道徳的主観を完全に放棄した思考なので注意が必要です。例えば、2ちゃんねるの人に聞けば、東大生は勝ち、亜○亜大学生は負け、ということになってます。これはその後予想される統計的な社会的権力保有の可能性から算出された「学問的な」意見ですね。さてはて、この意見は「正義に乗っ取って」いるかいないか。
 哲学者というのは、真・善・美を探求する人々なので、このあたりには敏感ですよ。このあたり注意。まぁ、得てして色々考え込むのは負け犬のやることで、ウハウハボーンできるのが勝ち組だから、ネクラに考え込んで結果出せない貧乏人低学歴精神病持ちのキモヲタ哲学科出身者はみんな負け犬なのさギャハハというもっともな意見も有りますw