時間がない、というか、精神的余裕がないので中々まとめられずにいるのですが…
哲学専攻の選択科目である倫理学を学んでいく内に、疑問を抱かざるを得ないのです。この疑問がもっと早くに出ていたら、倫理学の方を勉強する気になっていたかもしれません。まだ、遅くはないのですが。
今の人間は、果たして、倫理や道徳というものを必要としているのでしょうか?
果たして、今のシステムに対して、それが間違っていることで、従来のカント倫理学や、セネカの幸福論のようなものが正しいなどと言えるのでしょうか?
いや、ニーチェなんかをあまり読み込んでいないから、今更こんなことを疑問に思い始めるのかもしれません。でも実際問題として、今、世の中で善は必要とされていません。裏切りと欺瞞と表層倫理だけがここを支えています。
この表層倫理というのは、秩序という便利な発明品を維持するために必要な社会機構ですから、これをはずすわけには行きません。でも。
すべてを計算できるようになった社会は、全てを計量します。脳内の化学物質の分泌量まで計量し、最も効率的な数値を目指します。そこでは、計量してデータが抽出できないものは不要です。ごみです。デリートすべきものとなります。メモリは限られています。
資本主義という基本的にそういう社会です。
自分の先輩が言ってた言葉があります。
「友情も恋も人の温かみも、そういったものは全て金で買える。」
そういったものの価値が計量できるなら、交換され得ます。たとえば、身近に行くと中国では人の命は時価で10万〜100万だそうです。
信仰は金で売り買いされ、全てのものが計量されます。個人にとって絶対価値を持つ物はおそらく存在し続けるでしょうが、社会にとって絶対的価値を持つ物は、恐らく、超短期的な視点から見た自己保存可能性だけではないかと思います。
実は、これじたいも、現象学の立場から見ると怪しいようですが…
残念ながら自分には哲学や倫理学を勉強している暇はありません。
哲学や倫理学は結果がセンセーショナルとなる場合のみ宣伝広告のために兌換可能になる類のものであるため、市井の暇人にでもやらせておけというのが社会の見方のようです。まぁ、間違ってないと思いますが…