共通幻想の作成のための道程

およよ。こういう方向に進みましたか。これは一時期うちのサークルで問題になった話です。これに関しての強烈な突っ込みがあったのです。ちょっと汚い話ですが、「GMの自慰活動に手ェ貸す必要ねぇよな」という厳しい話があったのです。
それを言ってしまうと終わり、なのがストーリー型RPGの辛いところなのです。つまり、共通項としてのTRPGで場をくくりきれず、マスター独自のゲーム形式を作り上げてしまい、かつ、それをプレイヤーが受け入れてくれない。
二村ヒトシ*1か誰かが言っていた言葉の援用になりますが、コミュニケーションというのが双方向の満足で、そうなっていない場合は片側の満足-ディスコミュニケーションなわけです。そして、互いにディスコミュニケーションのまま終わってしまって良いという考え方が一方として厳然として存在し、寂しがりやの人はそれではつまらないと言う。まぁ、どっちも一理ある。
極端に言っちゃえば、あれです。「てめぇのマスタリングじゃあ、今日のシナリオもまた欝ゲーになるんだろ? 精神的にツライから遠慮しとくわ」という方向性も存在しうるわけです。いい話というのは、往々にして悲劇であり、精神的活動に対してスパイス的働きをするわけです。きつすぎると毒。
共同幻想…文字通り、共有物だと考えるのは幻想なんですが…がどのレヴェルにあるのかによって、この論は受け入れやすさが違うと思うんですねぇ。
かつ、ディスコミュニケーションの出発点は共同幻想と信じるものの押し付け合いなわけです。GMとPLの不毛な議論はこの辺りから開始される。ただ、争うのがめんどくさくなった人は「てめぇのやってんのはTRPGじゃねーよ」といって投げるわけなんですが。
遊びとしてはTRPGをやってるんだけどね。うーん。

*1:アホAV監督。確かエッセイで書いてた。