芸術を学問するということ

 有意味性について問われてもね…
 あえて言うとしたら、我々の価値判断基準が効率性と快感の追求だけだと規定したとしても、尚そこに美というものの存在意義が認められるところにその源泉が存在するのではなかろうか、と思うわけです。
 ただし、論理言語としての芸術を追求していくのか、社会・文化的遺産としての芸術を追求していくのかによって方向性は大きくずれます。恐らく糾弾されているのは論理言語としての芸術。だって、あれ論理言語じゃないし。