システムによって語られる事実

 世界観がシステムによって語られることっていうのは、わりとよくある事例だと思います。
 D&Dの例を取り上げてみると、復活呪文を行使できる術者は大都市に行けばわんさかいます。これは低レベル復活呪文であるレイズ・デッドが呪文レベル5(つまりレベル9、司祭レベル)で行使できるためです。では復活がばんばん起きるかというと、そうでもない。レイズデッドはレベルの低下(耐久力の減少)を招く致命的副作用を起こし、かつ行使費用がバカ高い。なにせ家が一軒建つだけお金がかかります。条件の緩くなるリザレクショントゥルーリザレクションとなると言わずもがな。ルールブックに、これらの呪文は金を積むだけではかけてもらえないと明記もしてあります。
 "FEAR系"の走りとなったN◎VAは背景情報を極端に絞ってある"パンクな"つくりでルールが書かれており、行間から必死で情報を掬い取り、ルールから世界を想像する必要があります。これによって再構成できる世界はアニメの中の退廃した未来都市のようにすごく魅力的なのですが、そこまで理解してくれる人が少ないのでイヤンな感じ、というのが自分的感想。
 この傾向は最近のゲームになるほど顕著で、挙げられているダブルクロスも例外なくシステム部分に色々書いてあります。それが魅力的だと思うのです。
 でも、ダブルクロスブレカナで思った話ですが、システム部分から読み取れる「救いのない世界」に絶望してあまりプレイしないシステムというのもあります。
 敵は膨大、勝つ見込みはほとんどない?…面白い!
 こんなギムリみたいな台詞はいえない人なのでした。