FEARゲーとプレイヤーと

この前のサークル例会の帰りに話していたことを原稿としてまとめると、自分が感じ続けていた違和感を文章化できる気がするのだけれど、いかんせん時間がない。
朱子についてまとめるレポートに時間食いすぎた。朱子ならいいけど、朱熹の伝記なんてないもんなぁ。
とりあえずメモ。
・ストーリーの生成という行為につきまとう朗読感覚
・どのようなシナリオとシステムであろうとも、プレイヤーがアクションをとってくれる限り、既視感のある状況は必ず生成される。ためにアクションが矢次早に生成されるシステムはそれだけでメリットを持つ。
・集団自慰大会もTRPGの楽しさの一つ。それが奇形であるとか、進行形態が独特で興味を引くとか。下品だけど言っちゃえばそういうこと。
・FEARのシステムはシステムとしてはエッジであり非常に優れている。
・FEARのシステムをプレイするには極めて高い能力と広範囲の学習が必要。
D&DはFEAR系ゲームよりも内容が薄い。
この辺りをグダグダ。