深淵雑考
まだHPにまとめるほどではないので、思ったことをちらほら。
各人が演出したいものがあり、シナリオとしてGMの思惑があり、思惑の絡み合いによる悲劇が存在する。
それはいい。
でも、「何を演出したいかは分からない」のが面白く、難しいところではないのだろうか?
自分達は果たしてセッションをする必要はないのではないだろうか。
色々悩みまして、今のところの中間結論としては
自分のとっての深淵は、ゲーム中は必ずしも面白いものではない
というところになりますか。
「ゲーム中は」というのがこれまたミソです。そう、ゲーム後なら面白いのです、これが。
一歩引いてみると良い、という言葉に尽きるのでして、つまりは、客体の立場で、そこで行われる苦悩、絶望、怨嗟、嫉妬、欲望、そういったものを冷めた目で、第三者の目で見る時に初めて面白い。
その渦中にいる時は、必死なんですねぇ。
これじゃいけない。
ストーリーテラーとしては、自分が操作するキャラクタが悲劇に巻き込まれようとするなら「さぁどんどんと話は佳境に向かっていく。悲劇よ更に苛烈な槍となれ」とばかりにキャラクタに悲劇を突き立てなければならない。
深淵というゲームにおいては感情移入なんてしちゃいけないんじゃないかな。