うみねこのなく頃に EP7プレイ前考察

EP7を手に入れたけれど、プレイするのが怖くて今までの考察のまとめをしてみる。

・まえだん

・何を語ればいいの?
うねねこのなく頃には非常に特殊な構造をした小説であると言える。
作者が最初に宣言している通り、この小説は厳密にはミステリとは言えない。
メタ小説小説とでもいうべき構造をした、奇妙な造りをしている。
うみねこ」はミステリとして読むこともできるし、メタ小説小説として読むこともできるし、ファンタジーとして読むこともできる。
作者は設問として、ミステリとして読めるか、ということを課題として突きつけてきているが、正直言って、ミステリとして読むことはかなり困難だ。それは、メタ小説小説としてのこの作品の立ち位置がそうさせているのだ。(困難なだけであって、不可能ではない。)
ミステリの立場として、人間原理で作品を読み解け、とあるため、人間原理で作品を解釈することはできる。回答は収束しない(というか、読者によって違う)だろうけど、そうやって推理を楽しむことそのものが、この作品の楽しみ方である、と作者も言っているので、それでいいと思う。
それより困難なのは、作品を理解することの方だ。この作品はメタ構造をとっているため、それぞれが厳密に何を指しているのか、我々の思考で表現することは難しい。(というか、メタ思考を思考することは人間には困難)。
厳密にミステリ作品として捉えると、六軒島の2日間に繰り広げられる、様々なパターンの連続殺人幻想の真相を突き止めることになる。確定しているのは、この島に訪れた、あるいはもともとこの島にいたと考えられていた人物が、その後行方不明になった、という記述だけであり、その他細部はフリーダムである。そもそも殺人があったのかすら明らかではない。
EP6まで、6パターンの殺人劇が繰り広げられ、それぞれ事件は違った展開を迎える。「設定が違う」とか、「IFの世界」と置き換えることができる。
しかし共通している設定も多く、個々のエピソードだけで特定の回答に到達するのは困難だ(回答は正答でなくてもよいはずだ。でも、できれば正答を探してね、というスタイルだと思う。)つまり、同一の背景設定と個別設定をもった作品群と見ることもできる。
また、文学作品として捉えることもできる。ミステリ作品は文学的な評価が非常に難しいが、この作品は徹頭徹尾個人主観で世界が描かれており、後に述べるが地の文が語り手の主観によって捻じ曲げられている。語り手が誰かということも、一つの世界観の構成要素だと思う。(この語り手とは、この作品の作者のことではない。作品そのものが作中作であることは、作品中に明示されている)。作中作とはまた別個に、神の視点で作品を俯瞰する「上位世界」と「上位世界の登場人物」が登場し、かつ、「上位世界」と、作品世界での現実と、作中作が曖昧に語られている、というのが混乱のもとである。
ここにおいて我々が語るのは何か? パターンがありすぎる。作中作をミステリとして解く。それもありだろう。上位世界と作中作の構造を明らかにする。なかなかタフなテーマだ。現実世界と作中作と上位世界をうまくリンクさせて話を解釈する。最もタフなテーマの一つだ。さて、どう読もうか? どう語ろうか?

・不気味な魔女達の幻影
上位世界という世界はかなり不気味な世界だ。そこは、現実が固定されていないから、どんな奇妙な設定でも起こりうる。上位世界は上位世界として切り離してみればよかったのに、EP4以降、上位世界と現実世界/作中作世界の混濁という厳しいテーマがつきつけられた。上位世界という存在において、作者は何を語りたいのか? 我々はこれをどう解釈するべきなのか? 大体は、ミステリによくある、推論をするために時間が固定された無限空間として鎮座しているが、時おり作中作/作中現実の世界に侵食して暴れだす。EP4,EP5,EP6では上位世界の崩壊と再構成という構図が描かれた。更に上位世界の更に上位の存在として、二人の魔女…ベルンカステルとラムダデルタが描かれている。これは作者の顕現とでも言うべき存在であり、作中作を無限に生成して遊びつくすことを目的としている/それを破壊することを目的としている。ちょっと変わった存在だ。
上位世界/上位ベアトリーチェが、上位バトラに何かを伝えるために、作中作を提示している、という構図は、とりあえずそのまま受け取っていいだろう。上位バトラとは一体何者か、という問題はずっとついて回る。上位バトラは作中作バトラと同様の情報を持つと共に、作中作(ゲーム)における思考、および上位世界でのやり取りを認識することができる。作品のナビゲータという解釈もできるが、EP4では「上位バトラとは何者か」、というところに影針を一本打ち込んでくれた。上位世界の存在が、作中作について言及するのはいいし、上位世界の存在について言及するのもいいとしよう。上位世界と作中作存在の関係性について言及するから話がおかしくなる。(それは本来別物だ)。もっと困ったことに、EP5とEP6では、作中作に上位世界の意識を持った人間が侵入して暴れまわる。作中作は誰かの意図(というか、「ゲームマスター」の意図)によって生成された世界だから自由にするのはいいが、事故言及は深淵を覗き込むことになるのでやめてほしいところ。

・真実を追い求める意味は?
読者が作中作を読んで真相を追おうとするのと同時に、上位世界のバトラも人間側真理を追い求めようとしているし、EP4までのベアトは何かをバトラに伝えたかったと読めるが、EP5以降は、作中作をベルンカステルが作中作をぶっ潰すためにやりたい放題やっている感があり、真実を追い求める意味があまり感じられない。ミステリとしてもお粗末で、微妙な作品に写る。これは、ミステリを内包していたEP1〜EP4に対し、ミステリとはなんぞや?というところに論点を持って来た作品だったからだと思う。

眠いから今日はこの辺で寝る。