いわゆる「哲学」への自分の無関心

いわゆる「哲学」に関して、驚くほど自分は無関心です。
いわゆる哲学というと、カント、ヘーゲルマルクス、その辺りの哲学ですね。現象学なんかにも全く興味がありません。
なぜなら、彼らの議論を理解するためには「哲学語」を覚えなければならないから。
「大いなるものへの合一」「存在時間性の明確化と存在の解体」…彼らの哲学でよく飛び出す言葉ですが、ぶっちゃけなんのこっちゃ分かりません。彼らの言葉を借りれば、高度にアヴァンギャルドな言葉を使用しすぎています。つまり、我々が通常使用する言語を使用していない。完全にジャーゴンでしゃべってます。
で、彼らは論理実証主義が大嫌いなので(か知りませんが)検証手順が非常に曖昧。人間ひとりを観察してみつけることができるある性質を普遍的なものとみなして、それを人類全体の動きとか社会性なんかに適用しようとする。
そんなヒトタチの語る「近代とはなんぞや」「近代は正しかったのか」などの議論に意味なんてない、と思うんですけど、ねぇ。
まぁ、こういうことをいうと、意味からの脱中心化とか、意味のメタ解釈学の脱構造化とか、なんかそういう話が出るんでしょうねぇ。やだやだ。