"からけ"と_SEX & DEATH_*1

 バタイユのいうところの破壊のテーゼにいう。性と死は一体であり、破壊にして創造の神であると。
 ショッキングな「事件」にはこのテーマが不可欠である。太古のサガ、軍記物、小説、漫画雑誌に至るまで、性と死を物語として扱わなかったことはない。この二つは生命の根幹に関わる重要事項であり、人間の興奮を掻き立てる指標である。人間は睫やストッキングや郵便箱に情欲を感じる多感な生き物であるし、その中には同様のものを破壊し抹消したくなる情欲も当然含まれる。もひとつはいわんでもいいでしょ。
 しかしこの二つは民俗学的に言えば、決して触れてはならないものであった。ハレの時に解放されるエネルギーの奔流であるこれは触れれば火傷ではすまない危険なものであり、ケつまり日常においては決して解放されてはならないものである。それは、その凝縮されたエネルギー故に日常を破壊するのだ。
 弱肉強食の闘争の場、恋人との逢瀬、そういう時は自分にとって「ハレ」の場であるのが通常である。こうした瞬間に人はアドレナリンやエンドルフィンを感じ、その猛毒の麻薬性によって文化=精神に対する破壊的衝撃への耐性を得る*1
 ところで、この手の話を堂々とする人がいるが、そのような人は一体どのような人なのか? 憶測で実際にデータを取って考えているわけではないので、与太話になるがまぁ書いてみよう。
 まず、「ハレ」つまり祭りの状態を発生させようとしている場合。実際にこの手は有効だが、非常に危険である。つまり、相手も同じ土俵に立つ…「ハレ」の状態に立っていないとこの話にはついてこれない。猥談何かはこの典型だ。で、これが読めない時、彼はこう言われることになる。

「からけ」(空気をよめない)


 も一つ、それが「ケ」の状態もあります。それは

眠くなったので寝落ち。

*1:始終エンドルフィン発しまくりのバカップルどもは恐らくいろんな意味で最強だと思います。誰かさんが「最強より最愛」なんて言ってましたが、それも「最強」ですよ、こずえちん