言語ゲーム的倫理補足

では、サンデル教授お得意の極限状況における思考テストだ。
・極限状況における食人問題について
遭難した人間4人がいる。家族がいる3人は、身寄りの無い、死期の迫っている一人を殺して食べた。彼らは裁かれるか否か。
言語ゲーム理論では正義という概念がひどく曖昧になってしまうが、この場合裁かれるというのが妥当だろう。ただし留保がつくぞ。彼らを裁くという行為が本当に妥当なのかどうか、という議論を先にしなければならない。
彼らが殺人を犯した時点では合法であった(合意による社会倫理形成!)。彼らが他の文化圏に組み込まれた瞬間に、それは違法となった。それを遡及的に法的処理できるか、という問題になる。法政治学法哲学の概念から、このような問題はどう扱うべきなんだろうね。
・法と正義についての言語ゲーム
言語ゲーム的解釈では、正義の概念はひどく曖昧だ。なにせ、その時によって変化してしまう。そのため、法と正義は常に改定を続けられる生きたものでなければならない。しかし、基準が時と場合によって変化するというのはどうなのか。これが言語ゲームにおける問題点である。
言語ゲーム的解釈における問題点はまだある。サイレントマジョリティを圧殺するという効果効用が、サイレントマジョリティ達の言語ゲームにおいては許容できない、という点に集約されるように思う。
結局弱肉強食なのかよ! という話である。ちーすニーチェさんお疲れ様っす。
弱者と強者の入り混じる世界での言語ゲームは、強者の圧制が弱者のルサンチマンを上回る限り、強者が優勢であるとされる。はて、これは言語ゲームから要請される倫理観に基づいてよいことといえるのだろうか…多層化社会構造に言及して追及する価値がありそうな問題だぞ。
※woddはethicsについて無知であるので、この件について哲学史上言及された文献があるかどうかは知りません。