アプリオリ・分析的・必然的という言葉についての考察
カントの規定によれば、アプリオリとは如何なる経験にも依拠せずに知り得るものなので、既に知っているものではない。アプリオリな真理は経験によっても知る得る可能性がある。よって、アプリオリであることは必然的ではない。
また、必然的という言葉に関する話がある。ある命題が真であることか可能的であるか必然的であるかは誰の知識にも関連せず、従ってアプリオリに決定されている。ここで証明されていない数学の命題を取り上げると、それは必然的に真か必然的に偽のどちらかなのであるが、我々はこれを必然的には知りえない。しかしこのことに関してはアプリオリである。我々は知る可能性を持つ。よって、必然的=アプリオリ、という解釈は少し間違っていそうだ。必然的な事柄の有り様の必然性(それがどのような場合でも成り立つかどうか)は知りえるかどうか分からない。また、アプリオリに知られる物事が必然的真理かどうかも当然ではない。
分析的という言葉があるが、<意味>によって真であり、<意味>を指定することで全ての可能世界で真であると約定(stipulation)するものであるから、約定される限りにおいて必然的かつアプリオリ的であるということになる。